「眠れない夜の憂鬱」序章


回想録「眠れない夜の憂鬱」

中村 十三生

高校中退後、日本各地、アメリカ、メキシコ、グアテマラと放浪し仕事を転々とする。
独学で絵を学び2005年沖縄に赤嶺太一と共同でアートギャラリーソウルミーティングを開店し絵の道に入る。
路上、井の頭公園アートマーケッツ、ドイツ文化会館、横田米軍基地、台湾、ギャラリー、カフェ、イベントなどに出展する。

BIOGRAPHY

2005年6月~2006年9月
ART GALLERY SOUL MEETING開店 沖縄那覇市平和通り

2005年12月
SOUL MEETING EXHIBITION 那覇市民ギャラリー

2006年12月~2007年7月
沖縄国際通り 絵の路上販売

2007年5月
TOMIO NAKAMURA EXHIBITION Vol.1 那覇市民ギャラリー

2007年7月
TOMIO NAKAMURA EXHIBITION Vol.2 喫茶室アルテ崎山

2008年1月
井の頭公園アートマーケッツ出展

2011年10月
吉祥寺サンロード 絵の路上販売

2011年10月~2016年1月
井の頭公園アートマーケッツ出展

2013年8月
中村十三生原画展 エイシーズギャラリー

2014年10月~2015年5月
都内 絵の路上販売

2015年1月
TOMIO NAKAMURA EXHIBITION OAG Haus/ドイツ文化会館

2015年6月
TOMIO NAKAMURA EXHIBITION 梅舎茶館

2015年7月~9月
横田米軍基地内 絵の販売

2015年8月
TOMIO NAKAMURA EXHIBITION TINY CAFE

2016年4月
TOMIO NAKAMURA EXHIBITION in 台北/台湾
鴉珈琲/鴉咖啡、樹樂集、MUIU inn

回想録「眠れない夜の憂鬱」序章

二〇二〇年五月友人の近藤勇磁と神奈川県の某スタジオでジャムセッションする事になった。
近藤君とは旅先の沖縄のゲストハウスで知り合って二十年以上の付き合いになる友人だ。
漫画、絵、詩、音楽、パンなどを創作している同志だ。同じ職場で働いた事もある。北海道標津での鮭の加工場(配属先の会社は違った。)、自分の育った調布の家に居候して印刷所(勤務時間が日勤と夜勤で違った。)、横浜の食品工場(自分は部署の配属先が流動的で仕事先で会う機会はほとんどなかった。)などの職場で一緒だった。絶妙なズレはあるものの旅先の沖縄でも一緒に暮らしたり、近藤君の実家にも泊めてもらうなど北は北海道、南は沖縄といろいろ自分の人生でクロスオーバーしている。自分自身に変化が起こる時、いつも彼とはシンクロニシティーが起こるし共有している物語がある。自分のはじめてのジャムセッションの相手になるのも何か宿命にあるのかもしれない。

自分の音楽歴を簡単にまとめると小さい頃はスポーツ少年で音楽の素養は全くといってない。テレビの音楽番組みたり友達同士で当時の流行歌のCDの貸し借りをしてカセットテープに録音したりしていたが友達とのコミュニケーション、交流の一つで、数ある中の遊びの中の一つであってそんなに熱心でもなかったしこれといった思い出はない。ミュージシャンになろうなんて一度も思った事がなかった。

二十歳の頃の放浪先の沖縄ゲストハウスでの共同生活は未知との遭遇で刺激的だった。いろんな人間、人生を見た。音楽も含め文化的なものが自分の中に入り込んで自分のアートワークの起源でもあるような気がする。今後の人生を決定づける決定的な出会いもした。その一人が近藤君で音楽に関してもいろんな音源を聞かせてくれた。

沖縄から東京に戻ってから時期は定かじゃないが調布の図書館で借りたレイ・チャールズのアトランティックレーベル時代のベストCDアルバムを聞いてレイ・チャールズを好きになり古典のブラックミュージックを聞くようになった。当時は中古CD屋で買って聞いていた。本、雑誌、メディアによる知識が全くないのでジャケット、ライナー、帯を見てギャンブル的に買っていた。ベスト盤やコンピレーション・アルバムやボーナス・トラックが好きではないのでオリジナルの構成なやつを狙って買っていた。知識が無い分、偶然的冒険的な発掘していく出会いの喜びがあった。自分の聴き方としては映画を見るように最初から最後までキッチリ聞きたいのでオリジナルに限る。早送りも巻き戻しもスキップもしたくない。自分の好みや嗜好は1960年代以前のブルース、ソウル、リズム&ブルース、ゴスペル、ロック、ワークソング、スピリチュアルなどの古典のブラックミュージックに向かって行った。

二〇〇七年(自分は二七歳の時)沖縄のジャズ喫茶「ローズルーム」によく行っていた。当時はジャズ喫茶という存在を知らなかった。のちに雑誌のジャズ批評の『ジャズ日本列島』に「ローズルーム」が載っていてジャズ喫茶である事を知った。
雰囲気が良く落ち着くし価格もコーヒー付きでリーズナブルだったし料理も手作りでおいしかった。ブルース、ソウル、リズム&ブルースなど自分好みの中古CDが安く売っていてよく買っていた。そこでビリー・ホリデイのCD「奇妙な果実」を買って聞いたら自分好みで完全に自分はブルースだと思った。ビリー・ホリデイはジャズシンガーでジャンルとしてジャズだった。それでジャズとは何だという気になって興味が湧いてきた。それまではカバーとかでジャズの曲は聞いていたがジャンルとしてはジャズはノータッチだった。

その後レンタル屋でタイトルは忘れたがジャズの歴史のDVDを借りて見た。その中のウィリー“ザ・ライオン”スミス、ファッツ・ウォーラー、ドロシー・ドネガンらスライドピアノの映像を見て衝撃を受けた。一人のピアノからこんなグルーヴがある厚みのあるオーケストラのようなサウンドが出せるのかという驚きだった。
無性にピアノが弾きたくなり那覇新都心周辺にある大型家電店を歩いてはしごし電子ピアノを試演し始めた。買う気はなかったので気が引け長居はできなかったしスライドピアノみたいな豪快な弾き方はできなかった。ちょうど東京への引っ越しが決まり何も手につかなく燻っていたので毎日のように行っていた。往復で10キロ以上もある長い道のりだったが部屋にいても煮詰まるだけでちょうどよかった。

そんな日が続きある日、電子ピアノの展示品が現品限りで格安で販売していて思わず引っ越しも控えているのに衝動買いしてしまった。電子ピアノ本体だけ買おうとしたら運良くも高価なスタンドとペダルをメーカーの人が無料でくれた。(スタンドとペダルがあるおかげでその後ピアノを弾かなくなった時に重くてリサイクルショップに売りに行けず手元に残しておいたので運命的な導きだ。)

それからスライドピアノの見様見真似で我流で電子ピアノを弾くようになった。教材も見ず音楽理論もドレミファソラシドの鍵盤の位置も全く知らず右へいけば高い音になり左へいけば低い音になるぐらいの認識で既成の曲をコピーしようなんて気もさらさらないし目を閉じて鍵盤も見ないで自分のその時の感覚だけで記憶もできないし再現もできない吐き捨てるように自由に弾いていた。家電店で人目を気にして委縮して弾いていたので思いっ切り弾ける快感と解放感はあったが思っていたのと違ったのかそれほど部屋でピアノを弾いても楽しくもなく手応えもなくハマらなかった。滅茶苦茶弾いていて時折それっぽく何かいい感じに聴こえてくる時もあったが全くコントロールできてないので何もわからないししっくりこなかった。引っ越しもあったのですぐにスタンドとペダルをバラして梱包して東京に送った。引っ越した後も組み立てるのがめんどくさくて長らくそのままだった。そもそもが衝動買いなので目的も目標もないアクシデントみたいなものだった。独学でピアノを学ぼうとはしたが教材、教科書、理論とか拒絶感があり本屋でパラっと立ち読みしただけでこれは無理だと確信した。この時は熱意はなく音楽は数ある興味のひとつでただピアノを弾きたい時に自由に弾いてただけだった。音楽に対して全く無知だったので習うより慣れろでいつか弾けるようになるのではという期待はあったがそうはならなかった。アートワークや金を稼ぐための労働で時間も無くエレクトーン禁止の物件に引っ越したり出稼ぎに出たりなどあり五年くらい全く弾かない時期もありどんどん音楽やピアノから遠く離れていった。金欠の時に家にある売れそうな物は全て売った時に買い集めたCDも全て売った。

それから月日が経ち二〇一八年に引っ越した福生のシェアハウスのロビーにアップライトピアノが置いてありそこで弾くようになってピアノ熱が再燃した。自分はピアノの個人練習室でしかアコースティックピアノを弾いた事が無かった。ピアノの個人練習室の窓もなく狭い密閉された空間や籠った音が苦手で好きじゃなくそれに比べ福生のシェアハウスのロビーは広々して天井も高く全面窓ガラスで陽の光も差し込んできて窓からは自然の木々や鳥の鳴き声も聞こえてきてとても心地良い突き抜けた開放感のある空間だった。そこにアップライトピアノの空間を抜けていくような自然な音色の響きが美しく魅了された。2016年に半年間上高地キャンプ場で働いていた事がありその時に人生観も変わり自然の音に目覚めた。山奥の木々に囲まれた人工物が周りに全くない自然だけが織り成す響き、雨なんか降った時は最高だった。その響きがアコースティックピアノ音色の中にもある。弾いていても凄く心地良かった。やはりアコースティックピアノの音色は電子ピアノとは違う。音響が良く誰が弾ているかわかるくらい三階にある自分の部屋までピアノの音が聞こえてきたのでスライドピアノみたいに強く派手に弾けなく少ない手数で小さい音で弾くようになった。

その頃はジャムセッションの事をまだ詳しくは知らなかった。ネットで検索するのが好きじゃないし百聞は一見にしかずで何も調べず先入観がないまま出たとこ勝負でやってみようと思い立ちジャムセッションの場所だけネットで調べ何回かライブハウスの入口までは行ったが扉を開けれなかった。中に入れなかった。ビビっていたのか何なのかわからないが自分自身行動力のない人間ではないはずだが何かに足が引っ張られるような感じで躊躇してしまった。自分の人生時折こういう現象が起こる。結局行かずじまいで終わった。それから仕事が忙しくなり引っ越したりまた出稼ぎに行ったりでまた全く弾かなくなってピアノと音楽から離れ出稼ぎから戻り今日のジャムセッションの時が来た。